ブックタイトルagreeable 第17号(平成23年1月号)

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概要

agreeable 第17号(平成23年1月号)

Agreeable 2011/1 14本協会元会長吉村卓美氏は本年11月18日に91歳の天寿を全うされ、ご逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。吉村元会長は建設省の元幹部職員で山口県建築課長・鳥取県建築課長を歴任されたあと、昭和39年福岡県建築課長に転出され、後に福岡県建築部長を務められました。退官された後はその様な経歴から、福岡県にある東和大学教授に就任され、昭和60年には当協会の九州支部の支部長を務めていただいていました。本協会の会長になられた経緯は、平成元年から六代目会長として一期務められた神山幸弘会長が退任されることになり、当時第1副会長であった吉野利夫氏が九州支部長であった吉村卓美氏を後任会長に推挙され、平成3年3月から平成9年2月迄6年間七代目会長として二期務めて頂きました。筆者は平成元年3月から平成7年2月迄の6年間第1副会長でしたので、吉村元会長と4年間ご一緒に協会の仕事に携わらせて頂きました。吉村卓美会長の最初の仕事は、建設省との交流の再開です。白対協は建設省の肝いりで作った組織であり、初代会長は建設省出身の稗田治氏でした。然し時代が流れる中で、建設省との繋がりが希薄になった傾向がありました。吉村会長は就任挨拶に伺った、建設省建築指導課の梅野捷一郎課長と面談し、建築指導課の職員が当協会の諸委員会の委員に就任して頂くよう要請され、ご了承を頂きました。早速、6月には計画調査委員会に青木仁氏にご就任頂き、平成3年8月23日の正副会長会議に青木仁氏にご臨席を頂いてご助言を頂きました。平成4年には青木仁氏は計画・調査委員会に留任して頂き、運営委員会に根岸武氏の就任を頂きました。平成5年は根岸武氏は運営委員会に留任され仕様書委員会を兼任、計画・調査委員会に越海興一氏、広報・編集委員会に犬飼瑞郎氏、環境問題等特別委員会に越海興一氏の就任を頂きました。平成6年は運営委員会の根岸武氏、計画・調査委員会の越海興一氏、広報・編集委員会の犬飼瑞郎氏は留任して頂きました。但し、広報・編集委員会委員は7月から小豆畑達哉氏に引き継がれました。又、防蟻薬剤検討委員会に越海興一氏に就任を頂きました。そして、12月には小豆畑達哉氏に引き継がれました。平成7年になると、建設省との繋がりが弱くなり、平成7年と8年に広報・編集委員会のみの繋がりになり、小豆畑達哉氏に就任頂きました。そして、吉村元会長が退任されると後の平成9年以降建設省の方が、協会委員を引き受けて頂くことは無くなりました。吉村元会長が作られた建設省との人脈は、後々の協会運営に大いに役立っている事は万人の認める所であります。吉村会長の在任期間で最も重大な出来事は、平成6年の2月17日付で住宅金融公庫の仕様書から協会の仕様書等が削除されるという事態でした。2月17日付で白対協へ示された住宅金融公庫の仕様書の内容は①白対協の仕様書を削除する②ヒノキ・ヒバ等を使えば薬剤処理は必要ない③ベタ基礎の場合は(薬剤による)土壌処理は必要ないという内容でした。吉村会長は陣頭指揮をとり、直ちに会議を開き、学識経験者の屋我嗣郎琉球大学教授(林学科)を代表として、3月1日に建設省と住宅金融公庫を訪問しました。そこで、説明を受けた改訂理由は、政権与党の「岡崎トミ子衆議院議員が反農薬東京の辻万千子氏と共に建設省建築指導課へ住宅金融公庫の仕様書から薬剤処理を削除するように指示された」との事で、「学問的な検討はしていない。建設省としても、どうする事も出来ない。」との説明でした。岡崎トミ子衆議院議員の指示を受けた、建築指導課の犬飼瑞郎係長は、住宅金融公庫の仕様書改定案の作成機関である日本住宅木材技術センターに指示をされ、日本住宅木材技術センターは平成6年2月2日付けで住宅金融公庫の仕様書から当協会の認定薬剤と標準仕様書を削除する内容の仕様書改定作業を開始したとのことでした。当時は細川政権(平成5年8月9日?平成6年4月28日)で、建設大臣は五十嵐広三氏でした。会長と相談し、委員会を開催致しました結果、政治的な行動を起こす以外に道はないとの結論に至り、当時野党であった自民党と公明党の国会議員に建設省への対応を依頼することとし、全国の支部・支所の有力な国会議員にお願いすることとしました。その中で、中心となって尽力を頂いたのが、筆者の友人である関谷勝嗣自民党衆議院議員でした。関谷勝嗣衆議院議員は建吉村卓美氏のご逝去を悼む 友清重孝