ブックタイトルしろありNo.161

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概要

しろありNo.161

Termi te Journal 2014.1 No.161 1報 文Reports1.産米林と農業, 農村 東南アジアの農村を訪れると, 水田の中に多数の木々が立ち並んでいる光景に出くわすことが多い。タイを例にとると, 首都バンコクの周りに広がるデルタの水田地帯ではこのような景観を見ることはできないものの, 北へ進んで観光地アユタヤを過ぎ, デルタの頂点チャイナートまで来ると水田の中に樹木が見られるようになる。アユタヤへ行く途中のサラブリから別れて北東に進み, コラート高原と呼ばれる東北タイに入ると, 水田の中の樹木が目立って多くなる(図1)。 水田と樹木が混在する景観は早くから地理学や農業生態学の研究者の注意をひいてきた。1910から30年代にかけて東南アジアの土壌と農業を研究したPendletonは, 東北タイの土地利用を報告した論文1)の中に多くの樹木が叢生する水田の写真を多数残している。1960年代以降, 東南アジアの各地で土地利用を研究してきた高谷2)は, 東北タイの丘陵部山腹に展開する名目上は林地であるにもかかわらず林床にイネが植えられている天水田を「産米林」とよんだ。これ以降, 水田に樹木が混在する景観は産米林と呼ばれるようになってきた3)。1980年代には地元コンケン大学の研究者によって水田内樹木の利用に関する調査がなされ,樹種に応じた多面的な利用の実態が明らかになった4)。東南アジアにおけるシロアリ塚と産米林農業岐阜大学応用生物科学部 宮川 修一たとえば現地でサベーンとよばれるDipterocarpus intricatusは家屋の柱にするのによい, ターンと呼ばれるBorassusflabellifer(オウギヤシ)は樹液から砂糖を作る,といった用途がある。そのような資源的利用以外に農家があげるのは, 田植えなどの仕事の相間に休息する木陰としての重要性であった。 産米林景観は, 東北タイとメコン川を隔てて位置するラオスの水田地帯や, 南にあるカンボジアの水田地帯にも普通に見られるものである。ラオス南部を調査した小坂らの報告でも, 村人による多面的な利用が明らかにされている5)。 前掲の高谷・友杉2)の報告では, このような景観がどのように生み出されて来たのかについても明らかにしている。元来この地域はフタバガキ科の樹木が多い森林地帯であったものを, 農家が開拓して水田と成していった。このときに農家は全ての木を除去するのではなく, 将来の世代が家を建てるとき柱や梁などにするのによい樹木や, 農具家具によい樹木, 樹脂, 果物や若葉を利用する樹木, 薬になる樹木などを選んで残していったのである(図2)。一方ではオウギヤシやなど生活に必要な樹木の畦などへの植え付けも同時におこなわれていった。開墾後年数が経て世帯も増えていくと開墾時からあった樹木も使用の結果, 水田からは図1 フタバガキ科の樹木がある水田(タイ)図2  樹木を残しながら行われる開田(ラオス)。大きなシロ アリ塚も残されている(画面中央)。