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概要

しろありNo.164

Termite Journal 2015.7 No.164 31あった。屯田兵は北方警備と北海道の開墾に従事させようとするのが目的で, 家族連れで明治初期から北海道の様々な方面に配置されたが, 用意された家「兵屋」と, 未開拓の土地が北海道各地開発と現在の街並みの礎となった。札幌市内では, 屯田兵兵村配置図(図2)のとおり4), 明治8年琴似兵村を皮切りに, 山鼻兵村,新琴似兵村, 篠路兵村の4地域に設置された。琴似と山鼻兵村には240戸, 新琴似と篠路兵村には220戸がそれぞれ入村した(表2)。板壁の柾屋根の木造建築で,シロアリ本来の生息地であった森林を伐採し, 開墾すると当然人間との関わりが発生していただろうと考えられた。図2の兵村家屋集落と今回の集計による調査地点を重ねると興味深いことに, 多くの地点が屯田兵入植地と重なった。特に人口増加に伴う急激な発展を遂げた山鼻地区は明治9年に屯田兵が入植して集落をつくった地域であり, 今でも西屯田・東屯田通りの名が残っている。また, 地図上少し飛び離れた琴似兵村も調査地点と重なった(図3)。服部博士の論説は本調査結果の山鼻(21件)と琴似(15件)兵村とシロアリ被害地については現在も一致することが判明した。しかし, 新琴似と篠路兵村との関わりは見られなかった。2. 札幌市内及び周辺の地勢とシロアリ調査分布 図1に示したとおり, 調査依頼物件が多かった, 札幌市中央区, 豊平区, 西区, 白石区とそうでない区との境目にJR函館本線及び千歳線があり, その北から北東地域である北区と東区にかけての調査物件数は少なかった。調査物件が全く無かったのは, 北区や東区の中でも札樽自動車道路より北から北東の地域にかけ,または, 札樽自動車道路と道央自動車道路の間に挟まれた厚別区全域であった。厚別区には大谷地という地域があり, 古くは大湿地帯が広がっていた。かつて, そこを避けるように現在のより南側に路線位置があった。現路線は1973年に新札幌副都心開発と札幌圏から千歳空港への輸送能力を上げるための新路線となった。図1右上に流れているのは1級河川石狩川であり,開拓当時は“あばれ川”で広大な土地を毎年冠水させていた。3. 札幌市内に配置された屯田兵兵村との関わり 服部3)は昭和47年に明治29年, 大正5年, 昭和10年発行の札幌市五万分の一地図3枚を地図上にヤマトシロアリによる家屋被害発生地を記入し, それを古地図と重ね合わせて, 被害家屋地点と屯田兵村と重なると記載をした。しかし, 当時の被害家屋件数はわずかで図1  札幌と近郊地域のシロアリ調査依頼分布図引用:Google社地図情報サービスに調査依頼現場の住所を赤印で示した。西区中央区北区東区南区厚別区豊平区手稲区清田区石狩川白石区JR上野幌駅JR新札幌駅JR札幌駅JR琴似駅