ブックタイトルしろありNo.157

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概要

しろありNo.157

2.首里城復元工事での白蟻仕様書 先ず,最初に断っておきたいが各建物には復元工法の違いがある。首里城正殿は国(国土交通省)発注で完全木造建築,広福門は同じく国発注でコンクリート造の外観復元工法である。北殿,南殿・番所,奉神門は都市整備公団(UR)発注で,コンクリート造で外観復元工法となっている。首里城正殿は戦前の補修工事のときの図面が残されており,更には王府時代の?図帳? が発見されたことで完全木造建築となったのである。その首里城正殿に対し北殿,南殿・番所,奉神門,広福門は古写真(明治期)と一部建物の資料はあるものの,建物内部の構造・間取りが明確でなく,使用状況が解明できないのでコンクリート造の外観復元となった。 工事仕様書(土壌・木部処理)については,各々の現場ごとに?施工計画書? を提出し承認を受けた。特に木部予防処理については仕様書の中に?防カビ剤? を加えるとの文言があり,添加(防カビ)証明書を提出したうえで施工を行った。施工は2度塗りである。1㎡当りに約250㏄の塗布量である。また,各番付けごとに1㎡当りの薬剤塗布・浸漬量を算出することで,毎月の薬剤使用数量を報告してきた。土壌処理は,正殿がシート工法,北殿,南殿・番所,奉神門が粒剤処理,広福門が散布処理と施工方法はまちまちであった。3. 首里城復元工事への参加 沖縄県白蟻防除事業協同組合が首里城内各建築物の?白蟻予防処理? を受託したことから,私こと平井祐昌も防蟻処理施工の作業員の一人として首里城内へ配置され,以後作業要員として参加した。他に2~3人の施工要員が配置された。これまでに関わった一現場としては最長である。 首里城正殿の工事は平成2年~4年にかけて行われた。県民が再建を強く望んだのがこの首里城正殿の復元であったのである。沖縄県民の象徴的存在としてあったのは,やはり?首里城正殿? であった。そして戦後の木造大型建築物としては初めてであり,首里城正殿以上の大型木造建築は本県にはなく,その復元工事に参加できたことだけでも,私にとっては非常に感慨深いことであった。今後,大型木造建築(寺院・世子殿(東宮殿)など)の築造予定が考えられているが具体的な予定は未だない。4. 首里城に使用した木材の種類 正殿の丸柱・桁・梁の材質は基本的に台湾桧である。復元工事が具体的視野に入っていったころから,大径木の材が日本にはないということで,前もって台湾から輸入し,保管・乾燥をしていた。台湾ではこの台湾桧を輸出したのを最後に,現在ではこの桧材は輸出禁止材となっている。壁板,床板,貫板の材質は犬槙である。この犬槙は宮崎産材で,本県産材は使用されなかった。というのも,戦前は杣山があって犬槙を植林していた山があったが,戦争で皆無となった。戦後も植林をしているが未だに大量の材を出荷できる状況にはない。首里城正殿の材のほとんどがこの2種類で占められている。他に樫,ヒバ(桧あすなろ)材などがある。 他の建築では,北殿,奉神門,南殿・番所がヒバ,杉材を主要材としている。広福門では日本桧,ヒバ材である。5. 防蟻剤の施工方法 初期の正殿施工作業(防蟻処理)は大径木の丸柱・梁・桁(構造材)などが主で,一人では抱える事が出来ない非常に大きな材である。それを2~3人で転がしながら塗布していくのである。後には貫・床板・壁板へと移行していくと,2項でも書いているように各部材の名称を書き入れた数量表を作成した(図2)。毎日のように各部材称を記録することなので,負担にも思えたような気がする。例えば壁板何枚,縦・横・厚さというように数量を計算し,施工日を入れて薬剤量を算出したうえで,監督官へ提出し承認を得るのであるが,当事使用した薬剤は大型建築ということもあって一斗缶(18L)での購入ではなく,ドラム(200L)購入であったので,このドラムを工事終了時まで保管し,最終的に使用ドラム缶数と使用数量を照合したうえで最終的な承認を得た。 また,今回の首里城建築工事では屋根の瓦下が葺土ではなく,空葺工法となったので,野地板のうえに椹を打ちつけ防水シート代わりにして瓦を葺いている。椹は桧の皮から作るもので撥水性が高いものである。日本では伝統工法として寺社建築や大型木造建築には重宝して用いられているが,本県では始めての使用である。その椹に竹釘で打ちつけた上で,瓦を葺くのである。この工法は屋根の重量を軽減した上(土葺)するので,本県での使用は始めての工法である。( 30 )