ブックタイトルagreeable 第14号(平成22年4月号)

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概要

agreeable 第14号(平成22年4月号)

11 Agreeable 2010/4アリはいないと思いこんでいましたが、平成19年11月に当協会員よりアメリカカンザイシロアリの被害があるとの報告があり、11月中旬に会員全社で現地研修会を開催しました。現在も被害が少しあるとの連絡をうけ、昨年11月に再度研修会を開催し、会員全社で勉強しているところです。地元新聞にシロアリ解説記事を掲載(山陰支所長・小幡大介)広報活動として山陰中央新報に月2回「さんいん環境塾」と称して解説記事を掲載して予防対策の必要性を訴えています。山陰はシロアリ防除後進地域で、一時は契約(集金)目的訪問業者の多量進出に晒されましたが、摘発や自滅で殆ど姿を消しました。この市場混乱期には会員制度の広報・解約相談などに努めてきたこともあり、今は一段落です。現在の会員9社は昭和50年代当初からの地元企業であることもあって、行政や報道機関とのコンタクトを保ちながら、適正な防除の普及を目指しています。最後になりましたが、中国支部設立の礎であり支部運営に長年にわたって貢献された冨樫勇氏が昨年ご逝去されました。最も親交の厚かった森杉謹彌氏(中国支部常務理事)に追悼文をお願いしました。ご冥福をお祈り申し上げます。中国支部設立の大恩人である冨樫勇元常務理事が平成21年11月2日にご逝去されました。会員の皆様の中には懐かしく思い出される方も多いのではないかと思います。冨樫氏は、大正の生まれであり、国全体が軍国主義へと傾倒し、誰もが苦難を強いられた時代を力強く歩んでこられました。第二次大戦の終戦を迎え、高度経済成長期の中、㈱住宅ケンコウ社に入社、キシラモン事業部の展開にご尽力されました。持ち前の発展気質と研究熱心さで、昭和42年に山口県の名橋 錦帯橋の架け替え工事、昭和44年には皇居・清水門の防蟻工事を手掛けられました。㈱住宅ケンコウ社在職中に、前支部長の故天満祥彌氏(平成21年6月30日ご逝去)を通じて広島県住宅供給公社に赴き、木造新築住宅への薬剤を用いた防蟻・防腐予防工事の必要性について掛け合われました。このことをきっかけに、全国に新築防蟻工事が波及していくこととなりました。また、床下換気扇を全国のシロアリ業者に紹介したはしりでもあります。中国支部設立に関しては、当時呉工業高等専門学校長で建築学会の権威であった故葛西重男先生を初代支部長就任に尽力され、昭和48年2月16日に支部が設立致しました。同年に広島市で開催された全国大会においては、関係各方面への調整、大会運営に力を発揮されました。その後支部長は、故曾根田彰先生、故天満祥彌先生、そして現支部長の西川加禰先生へと受け継がれております。支部設立以前の昭和40年にしろあり防除施工士資格を取得され、時代は昭和から平成となり終身しろあり防除施工士の資格を得られ、平成12年に支部運営から退かれるまで実に27年間、支部理事、広島県支所長、常務理事、顧問として多大な貢献をされ、現在の中国支部隆盛の盤石な礎を築いていただきました。支部運営から退かれた後も、全国大会への参加や協会機関誌「しろあり」に寄稿されるなど精力的にご活躍され、常に協会の発展を考えておられました。中国支部でお世話をさせていただいた平成20年度第51回全国大会(山口市)にもご参加いただき、とてもお元気そうにお見受けいたしました。懇親会ではご自身も大変な名手である「神楽」をとても楽しそうにご覧になっておられた姿が鮮明に思い出されます。強い精神力、行動力、優しさを教えていただき、晩年に至るまで生涯現役で力強く懸命に歩き続けておられましたが、惜しまれつつ永遠の安らぎの中へ帰って行かれました。その尊さは決して色あせることなくいつまでも輝き続ける事でしょう。今後は、我々後輩が遺志を引き継ぎ、支部発展に尽力していきたいと思っております。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。冨樫 勇 88歳平成21年11月2日永眠追悼 冨樫 勇氏を偲んで中国支部常務理事 森杉謹彌