ブックタイトルagreeable 第35号(平成27年7月号)

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概要

agreeable 第35号(平成27年7月号)

が建築家から数多く提案されました。nLDK 型をモダニズムの象徴ととらえたものであったのです。しかし、今もなお、その住みにくい、問題の多い住宅ばかりが供給され、それを越えるものは出てきていません。それを越えると言われる住宅は提供されてきましたが、それらは「住めない」住宅であることも多いのです。何故問題を引き起こすのでしょうか。それは現象として、住宅文化を継承していないからではありません。そこに潜んだ日本人あるいは日本という地域が持って来た観念を継承していないからで、未だ継承される観念も捨ててきています。また、カウンターキッチンのカウンターでの食事が、子どもの孤食を招いている、と指摘する児童学者や児童心理学研究者もいます。家族が一緒に食事をとらないから合理的なカウンターにしたのか、カウンターだから孤食となるのか、はわかりません。しかしカウンターキッチンは孤食を前提にするものだ、と言うことはできるかもしれません。食事空間とはどうであったのでしょうか。昔は前述のようにいろりを中心にとられていたところが多いのです。いろりの周りには、家族の座る場所が決められていました、それは男女観や長幼の序、家長制度という物の考え方が反映されていました。今では女性蔑視だとか悪しき因習と言われることもあります。それがnLDK型住宅の普及とともにイス・テーブルの食卓になりました。核家族化も同時に進みました。しかしnLDK型の初期ではまだいろりと同様の着座でした。それが変わるのが、テレビの普及とマイホームパパの登場ではないかと思います。この時代にテレビがよく見える場所に子どもが陣取り、着座の位置が変わります。着座の寄代は、神からテレビに変わったのです。さらに80年代には、カウンターキッチンが出てきます。それでも当初は家族の人員分のイスがありました。バブル時代に時差食事が一般的となり、家族全員が一緒に食べなくなりました。「食卓を囲む」という言葉もまさに「食卓とともに」なくなったのです。そして今や家族分のイスもありません。そこには神どころか代わりの寄代もありません。今、nLDK 型に変わる住宅計画を考えるなら、これまで書いたように、もう一度「イエって何か」を考える必要があります。住居はどうしてこうなっていたのか、そのしくみを考えないと、新しくて、使える住宅はできないでしょう。次回以降、このような視点で住宅をみていきたい、と思います。9 agreeable No.35 July 2015/7