広報委員会より、企画シリーズ「先人に学ぶ」の原稿執筆依頼を受けました。原稿内容は「先人に学ぶ」とは少しはなれますが、今日までの私の経験談の一端を書かせてもらいました。私が「シロアリ業界」に従事することに 三月に「文化シャッター」に入社しました。なったのを書くには、社会人になった時点から始めなければなりません。大学進学を機に鹿児島から上京し、卒業後昭和四十年二十数名の同期に人生の転機を迎えるきっかけとなる「F氏」と出会うのです。「F氏」は私の結婚式の司会をしてくれた仲でしたが、勤続十年を迎える前に退職して、東京銀座にある化学会社の住宅化学部が子会社となった「K社」に転職したとのことでした。親会社の「K化学研究所」では、当時、クロルデンの防蟻剤を製造し販売もしていましたが、ほとんどは子会社の「K社」で使用していました。 「F氏」はシロアリ業界に身を投じ、実績を上げる為に大型住宅団地の開拓に力を注いでいたようです。上尾市の三井住宅団地、蓮田市の椿山住宅団地、小川町の角栄住宅団地等の自治会を通じての説明会、床下の点検作業をした帰りに私の家に立ち寄り世間話をして数キロ離れた自宅に帰って行くことが度々でした。そんな折、私が文化シャッターの東北支社 任が解かれ、本社 と同時に「F氏」もまた私の家に立ち寄ることが多くなってきました。しばらくして私に四国への転勤話が見え隠れして、会社に忠実な私でしたが、四国は遠すぎるし「嫌だなぁ〜」と思っていた矢先「F氏」がある夜「大手デベロッパーや鉄道会社の不動産部を開拓してくれる人が欲しい…」と「K社」の社内事情をこと細かく話しては帰って行く日が何日も続きました。私は シャッター ましたので何の抵抗も感じませんでしたが、「F氏」の情報から、床下点検は嫌だけど大手デベロッパーの開拓なら良いかと少々心が動きました。そして、四国転勤が仙台市 より単身赴板橋区 勤務になった文化で大手ゼネコンを担当してい現実になった昭和五十一年七月に文化シャッターを退職し、翌週の月曜日から「K社」に勤務することとなり「シロアリ業界」に身を投じることとなりました。入社してすぐ、三人が辞め一時は二人で営業活動をしていましたが、その後すぐ私を含め七人となり、私が退職するまで続きました。職種は違っても建設業に携わっていたことが無駄ではなかったようです。私の家は埼玉県の上尾市にあり、週二日は埼玉県を、特にJR東北線の川口駅から北、大宮駅までの不動産屋さん、建設業者さん、工務店さんへの飛び込み営業を開始し、週三日は東京都内の大手デベロッパー、ハウスメーカー、鉄道会社等の開拓に明け暮れました。しかし、転職してすぐに旧大宮市内で「シロアリの床下持ち込み事件」があり 嫌な業界 防には関係ないと鞄にカタログを詰め頑張りました。何度も「其の鞄に を入れているのか?」とからかわれましたが正々堂々とした態度で活動した結果、次と思いましたが、新築予シロアリ 有限会社プリズム 弟子丸 方弘12agreeable No.54 April 2020/4第十回先人に学ぶ
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