agreeable 第55号(令和2年7月号)
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日食が繋ぐ、今と昔江戸時代にもシロアリは居たの?太古のシロアリ     *   m 田6(Coptoteres formosanus今年の夏至(2020年6月21日)は、日本全国で日食が観測されました。夏至の日に日食が起こるのは372年ぶりとのこと。数字を言われたところで、“長い”ことしかわからない、ほとんど実感のない年月ではあります。2020年の372年前がいつなのかを律儀に計算すれば、1648年、時は初期の江戸時代です。1600年の関ヶ原の戦いから半世紀がたち、当時の将軍は3代目の徳川家光。鎖国が本格的に始まる一方で、江戸城下には街が広がり、当時20万人以上の人々が住んでいたと推定されています。江戸の町の人々の住まいである町屋も武家屋敷も、木造建築でできた住居ですから、今と同じように、シロアリによる家屋の食害も起こっていたことでしょう。今では人為的な持ち込みにより世界中に広がり、各国で侵略的外来種として防除の対象となっているイエシロアリイエシロアリは江戸時代に既に日本にも居たのでしょうか?日本ではこの当時、鎖国が始まった頃であり、外国との往来は限定されていたので、人為的な生物の持ち込みは制限されていることになります。この疑問に対して、当時オランダから日本に来たケンペル外科医が綴った文書でに日本にはシロアリがいたことがわかります。イエシロアリについては1600年代よりも前に日本に分布しているとされており[Su, 2003]、鎖国中の日本に既に分布していたとなれば、イエシロアリはもっと前に日本に入ってきたのか?という問題に直面します。これに対しては、イエシロアリの原産地を調査した様々な報告から、中国南部が原産地とされるばかりでなく、かつて中国大陸と陸続きであった台湾や日本を含む広域にも自然分布していたという報)ですが、からも、す告が知られています[山田・角人間が生活する上では、木造建築物へのシロアリ対策は有無を言わさず必須だったのだろうと考えられるわけです。実際、江戸時代にも建築物へのシロアリ対策が行われていたようです。建築物の柱を載せる礎石に溝がついているものが見つかっており、ここに水と鯨油を入れてシロアリの侵入を防いだ可能性が示唆されています]。さて、江戸時代にもシロアリは居たし、そもそも日本にはシロアリが自然分布しているとなれば、シロアリはどのくらい昔から居たのだろうという疑問も湧きます。恐竜がいるような時代にも居たのでしょうか?太古の昔に生きていたシロアリの存在は、化石から確認されています。なかでも琥珀に閉じ込められたシロアリは各地で見つかっています[らによる多数の論文ではスペイ[藤本, 2013]。すなわち、日本で, 2005**EngelやKrishnaン、カナダ、オーストリア、エクアドル、メキシコ、ドミニカなど様々な場所でのサンプルが対象となっています]。そしてそれらの解析によって、ジュラ紀や白亜紀といった恐竜がいた時代に、シロアリも多様な系統に進化したといわれています。当時繁栄したシロアリの系統のうち幾つもがすでに絶滅してしまっており、現在はそのうちの一部だけが残っているのです。琥珀に閉じ込められたシロアリの同定では、形態観察が重要です。シロアリの翅(はね)にも、形態上の特徴が盛り込まれています。ハネが33㎜以上、両熊本高等専門学校生物化学システム工学科 木原 久美子第6回agreeable No.55 July 2020/7図1〜ハネを観る〜

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