agreeable 第57号(令和3年1月号)
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◎初の設計で葛藤の末に生み出した建築手法◎木造大国・日本に重要なシロアリ対策藤森照信氏が45歳の時に初めて設計した長野県茅野市の「神長官守矢史料館」(1991年竣工)は、諏訪大社の祭祀を代々司ってきた守矢家が持つ古文書を収蔵するための建物です。藤森氏の生家と近所で、藤森家も大もとをたどると諏訪大社に連なる家だということです。藤森氏の近著『建築が人にはたらきかけること』(平凡社)によると、発注者の茅野市から建築史の研究者として藤森氏が相談を受けて、当初は知り合いの建築家に設計を依頼しようと考えていたと言います。しかし「この土地にふさわしい建築をつくってくれそうな建築家が見当たらない」と思い至り、自分で設計するしかないと決意をします。なぜなら「この土地の歴史や風土をよく理解してつくらなければ神様に失礼にあたる」と考えたからです。モダニズムでつくることは絶対にやってはいけないとも思ったそうです。そこから藤森氏の自身との葛藤が始まりました。どう考えればいいかわからない。伝統的な民家は基本的にはやりたくないと思ったと言います。アイデアが生まれても翌朝には納得がいかない。文化財を保存展示する現代建築なので耐震耐火は必ず守らなければなりません。手本がなく八方塞がりで、自己嫌悪の連続だったと述べます。その危機を乗り越えられたのは建築家の吉阪隆正の一文に出会ったからでした。現代建築を批評してきた自分が、藤森のデザイン力はこんなものかと思われることを過剰に意識していた自分に気が付いたのです。吉阪さんの文章は、ものをつくるときは余計なことは考えるななどと読むことができたと述べます。そしてその文章と一緒に中国の草原の中にぽつんと建つ小さな泥の家が描かれていて、それが自分の求めているものだと思ったそうです。ここで藤森氏が試みたのが「科学技術に自然を着せる」という手法でした。 「文化財を展示保存するため木造は禁じられています。耐震耐火が求められるためコンクリートと鉄でつくらなければいけなくて、構造や設備は現代の科学技術でつくり、外側の仕上げに自然材料を使うことにしました。これが科学技術に自然を着せるという手法です。その後の私の建築のベースになりました」神長官守矢史料館は、外壁がサワラの割り板のほか、土壁風に見えるところを土色のモルタルに藁を混ぜて塗り、その上から本当の土を塗っています。日本は世界的に見て木造建築が圧倒的に支持されている国。それだけにシロアリの害は大きな問題で、その対策もとても重要だと思っていると指摘します。自身の経験などから一般的な蟻害や蟻の生態についてはこう述べます。 「日本はかつてはそれほど蟻害はひどくなかった。寒かったんだと思います。今シロアリは(温暖化で)どんどん北上していると聞いています。寒い所はそんなに得意ではなく、暖かくて湿ったところを好みます。九州のシロアリは最近、屋根から来ると聞い日刊建設通信新聞社 記者 津川 学        10agreeable No.57 January 2021/1藤森照信さん神長官守矢史料館建築史家・建築家・東京都江戸東京博物館館長 藤森照信氏に聞く自然を取り込んだ建築の美学と木が見える風景「科学技術に自然を着せるー木造建築の諸相ー」(下)

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