員の交通事故、工事中の薬剤によるボヤ騒ぎ、等々忙しい毎日でした。その間人材を集め工事の体制を着々と固め亡き父からの突然の継承もうまく行くなか、白対協の皆様との関係を築いていくことが急務と思われました。又九州の同業者の方々とのお付き合いも始め、福岡に「三野」と言われた桑野社長さん、吉野社長さん、藤野社長さん等多4才4済4々4の方々が居られ、私に人生のことや営業の方法、他社の方々との付き合い方等ゆっくりと丁寧にご指導頂きました。又、難しい現場等は長崎県の柿原社長さんに教えを受けて、現場まで何度も足を運んでいただき、大変感謝しております。各県の役員の方々は皆さんシロアリが好きでいつもシロアリの話ばかりで大変勉強になりました。今思い出すと苦しい時にお世話になった方々の顔が思い浮かび感謝に堪えません。ある時は薬剤メーカーの紹介で全国の業者さんの処へ視察に行かせて頂き、その際、四国の友清社長から工事車輌、バイモケール号(倍儲ける号)の提案をして頂き、動噴とポリバケツの工事から、セット車輌に変わり見た目と作業効率が格段に向上いたしました。色々勉強させていただく中、すばらしい会社、憧れの会社との出会いもあり、我が社の発展の指標とするべく、決意いたしました。さて、父亡き後十四、五年後、世の中は訪販業者乱立の世の中になりました。私の故郷佐賀県は人口八十万人程の小県ですが、沢山の業者が発足し、まさに戦国時代となりました。心機一転、色々試みてみました。不動産業の展開、リフォーム部門の展開などそれなりにやりがいがあり、会社としても利益を生むことができました。しかし本業はやはりシロアリです。八十万の人口に四十社以上の大激戦です。先人から譲り受けた江崎しろありの灯を消すわけにはいきません。又この時期は、公害問題も噴出しておりました。シロアリ薬剤の河川や田畑への汚染又、南極のペンギンへの汚染等シロアリの薬剤がターゲットとなったような時代でもありました。これを機に薬剤の使用方法、保管方法、薬剤についての勉強など全国各地のセミナーに参加し、研鑽を深めた時期でもありました。常に時代に沿った我々の教育というものは、これからも大切だと思われます。さて、私は五十年間、この業界で生きたうえで色々多くを学びました。先人、先達の教え無くして、今の私はありません。信用とはお金に換えられない重大で大切な事、そして色々な先達には、優しさと誠意をもって対処するという包容力を教示いただきました。五十年前という時代は私にとって大切な時間であり場所だった様です。さて、創立九十周年の今年、これからを四代目の息子に託し、来る百周年を業界の片隅に身を置かせて頂き、見守りながら迎える所存であります。願わくば、このコロナ禍が一日も早く終息し、以前のように全国大会で皆様とお会いできる日が来ます様、願ってやみません。十数年間本部の委員及び理事を続けさせていただき、事務局の皆様や歴代の役員の皆様に大変お世話になりました。ここに感謝申し上げて筆を置きます。本当に素晴らしい五十年間でした。大変有難うございました。防除士No八八一番という大切な番号と共 に心より感謝申し上げます。15agreeable No.60 October 2021/10
元のページ ../index.html#17