〇沿〇終わりになったようです。平成24年に仕事を閉めるにあたり、現場の責任者をしていた北山氏に仕事が受け継がれ、現在に至ります。・仕事との向き合い方北山代表は、お墓を管理する墓守として、石材業にこだわりたいと言い切ります。仕事で大切にしていることは、施主は墓の中にいる人であり、その人の思いを感じながら、仕事と向き合っているそうです。「墓の中にいる人を理解しながら仕事と向き合っています。例えば松平さんが眠っておられるのであれば、その人の気持ちに寄り添い、お墓を掃除し、お墓を守る。お墓の中にいる人としゃべっています」と語ってくれました。・自身と石材業高野山金剛峯寺は、200年ごとの周期 革グもこなすなど、多才な趣味の持ち主です。をけじめとしていますが、自分も200年先を見て仕事をしています。200年後を見据え、仕事をつないでいく。 2代目となる長男は、しっかり父親の背中を見つつ、仕事を覚え、仕事は継承されているようでしたが、「200年先を見据える」と語る北山さんの目は輝いていました。休日は、ギターを弾き、時にはハーモニカも吹く、ズンバやヒップホップ、ボクシン楽しく生きること、笑顔も大切だし、まだ仕事は通過点だと言います。仕事は200年先を見据え、施主はお墓の中にいる人、墓守としての仕事への自負は、非常に興味深く印象的でした。【昭和42 年】しろあり防除士松平藤佐根氏から高野山奥の院に36㎡の敷地の寄贈を受ける。【昭和46年4月】しろあり供養塔及びしろあり関係物故者慰霊碑を建立。【昭和50年8月】しろあり供養を行う。【昭和51年9月】しろあり供養及びしろあり関係物故者合祀祭を行う。【平成10年9月】新しく仏閣風のしろあり対策功労者慰霊銘板奉納庫を建立する。【令和3年9月】しろあり供養塔建立50周年記念慰霊祭を執り行う。協会は半世紀近くにわたり慰霊祭を執り行い、生命を奪われたシロアリの霊を慰めるとともに、会員その関係者の方で物故された方々155名余りを合祀してまいりました。慰霊祭の運営や供養塔、慰霊碑の維持管理等、協会関係者を始めとし、いろいろな方に支えられて引き継がれています。今後も引き続き受け継がれていく慰霊祭等を通じて、人間生活と相容れないために駆除されたシロアリへの供養がもっと身近なものになればと願います。●塔正面に刻まれている文字『しろありやすらかにねむれ●塔裏面に刻まれている文字13agreeable No.61 January 2022/1●慰霊碑幅1.0m、奥行き0.5m、高さ1.1m全体敷地:幅6m、奥行き6m●慰霊銘板奉納庫太めの針金が埋め込まれており、ふたは力づくだけで外すことは難しい組み込み式構造幅0.9m、奥行き0.6m、高さ1.1m●供養塔台石は、北木石の乱積み、その上に花崗岩のダイヤモンドとも言われる庵治石中目にアフリカ産の黒御影石がはめ込んである。供養塔の高さは1.7m、台石を含めると2.3m、幅1.95m、奥行き0.76m建立の趣意 昭和34年5月に結成された日本しろあり対策協議会が 同43年9月社団法人に発展改組を機に 記念事業としてこの碑を建立することとした 生をこの世に受けながら 人間生活と相容れないために失われてゆく生命への憐憫と先覚者への感謝の象徴であり 会の進展団結を祈念するためのものに外ならない なお本計画の実現は 関西支部関係者の尽力と 全国からの会員各位の賛同協力に依るものであり この敷地は会員松平藤佐根氏の寄贈にかかるものである昭和46年4月7日 社団法人日本しろあり対策協会会長 大村 巳代治社団法人日本しろあり対策協会』
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