ブックタイトルしろありNo.162

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概要

しろありNo.162

Termi te Journal 2014.7 No.162 1報 文Reports1 はじめに?久能山の歴史と久能山東照宮? 久能山は, 海底の隆起によって形成され, 長い年月の間に侵食作用などのために硬い部分のみが残り, 現在のように孤立した山となった。「久能寺縁起」によると, 推古天皇の時代に渡来系の秦氏の一族である久能忠仁が久能寺を建立したとある。 その後, 静岡茶の始祖といわれる聖一国師(円爾)が久能寺の住職に師事し, また, 戦国大名の今川氏が久能寺を手厚く保護するなど, 長年にわたって隆盛を誇っていた。 しかし, 武田家の支配になると寺は移されて久能山城が築かれ, さらに, 江戸幕府の初代将軍となった家康が薨去する際に, 「遺骸は久能山に埋葬すること」と遺言を残したため, 二代将軍の徳川秀忠が家康を祀る神社の造営を命じ, 1年7ヵ月の歳月を経て完成した建物が久能山東照宮である。 久能山東照宮本殿・石の間・拝殿は, 江戸時代における造営組織の草創期において, その礎を築いた中井大和守正清の代表的な遺構であり, 江戸時代を通じて全国的に普及, 発展を遂げた権現造社殿の先駆けとなった最古の東照宮建築という点が評価され, 平成22年12月24日付けで国宝に指定された。 中井大和守正清は, 徳川家康に重用され, 二条城・江戸城・駿府城・名古屋城など多くの天下普請にかかわった建築史上重要な人物だが, 現存する遺構は, 仁和寺金堂など少数しか残っておらず, 久能山東照宮は, 晩年を駿府で過ごした徳川家康が死去した翌年の元和3年(1617)に, 家康を祀る霊廟として, 正清がその技と知を注ぎ込んで築き上げた最晩年の傑作ということで, 貴重な遺構の一つといえる。 権現造は, 御神体を安置する本殿と拝礼を行う拝殿を「石の間」でつないだ複合社殿形式の建築方法である。江戸時代を通じて広く普及し, 全国に多くの東照宮が建てられたが, 先述のとおり久能山東照宮は, 現存する最古の東照宮ということで文化史的意義の特に深い建造物といえる。久能山東照宮における文化財保護について?400年祭を目前にして?静岡市生活文化局文化スポーツ部文化財課 花村 友紀 なお, 権現造という名称は通称であり, 北野天満宮や大崎八幡宮など久能山東照宮以前に建てられた権現造の建造物は存在する。同時代の史料には「石の間づくり」とある。 明治時代の神仏分離政策によって五重塔など, いくつかの建造物が解体されたが, 現在, 国宝の本殿・石の間・拝殿のほかに13棟が重要文化財となっている。2 久能山東照宮の蟻害・腐朽検査 静岡県しろあり対策協会は, 平成20年(2008)からシロアリ被害の早期発見と文化財保護のため, 静岡県教育委員会などと協力して文化財(建造物)の蟻害・腐朽検査を実施している。 本市は, 徳川家康薨去400年を来年に控える中, 神格化された家康が全国で最初に祀られた久能山東照宮を検査先に選定した。国宝・重要文化財建造物を合わせて14棟所有している久能山東照宮の検査が大規模になる事は明白であり, 当初は検査対象として選定することを躊躇したが, 静岡県しろあり対策協会の理解もあり, 全国から専門家を集結しての大規模な検査が可能となった。 久能山東照宮は, 標高270mの久能山山頂付近に所在し, 徒歩でのアクセスが不便だが, 検査当日は静岡鉄道株式会社に協賛していただき, 関係者には日本平ロープウェイの往復無料乗車券を発行していただいた。 平成26年度の蟻害・腐朽検査は, 平成26年4月8日に実施された。今回の検査は, (公)日本しろあり対策協会制定による「蟻害・腐朽診断マニュアル」及び「文化財建造物の蟻害腐朽検査マニュアル」に基づいて,特殊な器具を用いず, 一般的な方法で観察できる範囲について, 原則非破壊による目視・打診・触診にて実施した。 なお, マニュアルで検査対象となっているカンザイシロアリは当該地域では確認されていない。 また, シロアリ以外の木材食害性昆虫であるシバンムシ, ヒラタキクイムシ等については, 検査・診断対象