32病原菌の他にも日和見感染菌のような, 増殖することでシロアリの生存を脅かすようになる微生物が存在する。シロアリの巣内には血縁者が密集して存在しており, さらに卵や幼虫といった免疫力の低い個体も多く存在する。このような日和見菌が増殖しやすい環境中で, シロアリはどのように巣内の衛生を保っているのだろうか。本研究ではネバダオオシロアリを用いて, シロアリ腸内微生物が日和見菌の抑制を通じて巣内衛生の維持に貢献していることを明らかにした。 まず日和見感染菌として赤色の色素を生産するセラチア菌をシロアリの巣から単離し, 色素量測定による増殖量の定量法を確立した。次にシロアリに抗生物質を与えることで腸内微生物を持たない個体を準備し, セラチア菌を与えた後に新しいろ紙上に移し, ろ紙上でセラチア菌が増殖するかどうかを調べた。その結果, 腸内微生物を持つ個体を用いた処理区ではセラチア菌を摂取させた後でもろ紙は白く保たれていたが, 腸内微生物を除去した個体を用いた処理区ではろ紙上にセラチア菌が増殖していた(図2)。このことは腸内微生物の存在がろ紙上でのセラチア菌の増殖を抑制したことを示している。シロアリは排泄したフンを用いて巣内の構造を建築することが知られているが, 腸内微生物を除去した個体ではセラチアが増殖したフンをろ紙上に塗布することでセラチア菌のろ紙上での増殖を促進してしまったことが考えられる。 さらに, セラチア菌の増殖抑制を担う物質として, 腸内微生物が生産し, シロアリの炭素源となる酢酸に着目した。セラチア菌を抑制できる酢酸濃度を液体培養によって調べ, シロアリの腸内酢酸濃度を測定した。その結果, 腸内微生物を持つ個体の腸内酢酸はセラチア菌を十分抑制できる濃度であったのに対して, 腸内微生物を除去した個体では腸内酢酸濃度はセラチア菌を抑えられない濃度にまで低下していた。 以上の結果から, シロアリの腸内微生物は酢酸を生産することで腸内に取り込まれた日和見菌の増殖を抑制し, 巣内衛生の維持に貢献していることが明らかに東京工業大学生命理工学院 稲垣 辰哉京都大学農学研究科応用生物科学専攻Abstract of Doctor Thesis1. はじめに 多くの動植物は多様な微生物と共生関係にあることが知られている。共生微生物は宿主の栄養獲得や免疫に貢献し, さらに行動や神経発達などにも影響を与えることが明らかになってきている。その中でもシロアリは, 腸内に生息する十数種の原生生物や数百種の細菌と共生関係にあり, それらを一億数千万年もの間維持していることが大きな特徴として知られている。腸内微生物は主にシロアリの餌である木材の消化や窒素固定を行っており, シロアリの生存に必須である。一方で腸内微生物の多くがシロアリの腸内のみで生存しており, このような互いに強く依存しあう関係を絶対共生関係という。腸内微生物群集はシロアリの種ごとに特異的あり, それぞれの種内では非常に安定であることが知られている(図1)。この両者の相互作用を明らかにすることは, 生物一般にみられる微生物との共生関係の実態やその進化を理解する上で重要であると考えられる。 シロアリは社会性昆虫として知られ, 王・女王といった繁殖カーストとワーカー・兵アリといった非繁殖カーストによる繁殖分業がなされている。王・女王は繁殖に専念する一方でワーカーや兵アリは採餌, 巣の構築, 他個体の世話, 防衛といった様々な労働に従事している。腸内共生微生物はシロアリの生活史を通じて, これらの多岐にわたるタスクに貢献していることが予測される。だがこれまでの研究では主にワーカーにおける木材消化能力への貢献に着目しており, 社会や生活史全体での腸内微生物の貢献は見落とされてきた。本論文においては, 腸内微生物の新規機能として巣内衛生への貢献を明らかにし, さらに生活史全般における空間的・時間的動態を明らかにした。本論文は以下のように要約される。2. シロアリ腸内微生物による巣内衛生への寄与 シロアリの巣は腐朽した木材の中などの, 微生物が多く存在する環境に作られる。こうした環境中には, 博士論文抄録シロアリ腸内共生微生物の新規機能とカースト特異性に関する研究
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