らせていただきます。なにぶん40年も前ですので, 記憶も記録もあやふやなところはご容赦ください(ヨシムラ, 許してな!)。 吉村先生と私は, 1983年から2年間, 京都大学宇治キャンパスの木材研究所防腐防虫実験施設(現在の生存圏研究所居住圏環境共生分野)にて京都大学農学部農学研究科修士課程を一緒に過ごしました。私と吉村先生の最初の出会いは1982年のたしか9月, 大学院合格発表の後でした。私は合格発表を受け, 早速宇治の研究室へご挨拶にうかがい, その足で研究室の先輩から宇治キャンパス近くの下宿候補を数件ご紹介いただきました。その日は即決せず, 翌々日に研究室に連絡したところ, 第1希望だった物件はすでに不動産屋経由で先約が入ったとのことで, 第2希望の物件をお願いしました。ところがその後, 「ヨシムラさん」という人から電話があり「来年から同じ研究室でお世話になる吉村です。先日不動産屋経由でアパートを予約したが, 私より先にクリサキさんに紹介した物件と聞いたので, お譲りすべきと思い, 電話しました。」。これが最In Memorium : Tsuyoshi Yoshimura富山県農林水産総合技術センター木材研究所 栗﨑 宏2 2021年5月18日午後, 私は吉村先生も参加されるはずのあるweb会議にログインしていました。吉村先生と顔を合わせるのは3月以来でしたので, モニター上ではありましたが再会を楽しみにしていました。しかし, 先生はいつまでたっても参加者画面に現れず, 結局無断欠席という全く吉村先生らしくない状況のまま会議は終わり, 首を傾げながらPCのメールをチェックしたところ, 吉村先生の訃報に我が眼を疑いました。先生は一昨年から(私の知る限りですが)体調を崩して加療されていましたが, コロナ禍でのリモートワーク化も幸いして, 大学の講義や学協会業務も休まれることなく研究室のデスクから執務されていたご様子に, そう遠くない全快を信じていました。あまりに早すぎるご逝去, 本当に残念でなりません。吉村先生と私は同窓で、お付き合いは40年に及び, 「おーい, ヨシムラ~。」「おう, クリサキか!」といまだに呼び捨てしてもかまわない, 数少ない友人でした。先生の木材保存分野へのご功績はすでに他稿でもご紹介されていることと思いますので, 若かりし頃からの思い出をつづ学生時代の吉村先生一見, パンチパーマに剃り込みですが100%天然です。優勝をかけた最終戦に臨む吉村先生と筆者恒例のマラソン大会宇治キャンパスから宇治川沿いの約5kmのコース この後, 筆者は吉村先生に置いていかれました追悼文おーい, ヨシムラ
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