88西洋建築を学んだ建築家が台湾における建築工事に主導的な役割を及ぼしていたことが挙げられる。 2点目は1907年の台湾家屋建築規則施行細則の改正により, それまでの木造建築に対して, 台湾の気候風土及び耐久性の高さが求められるようになり, その結果煉瓦造が推奨されることとなった。この点については次章で詳しく述べたい。 そして3点目は, この頃より台湾産の煉瓦の質が向上し, 量産が可能となったためである。 以上のことから, 同時期の家屋建築に煉瓦が多用されるようになった。 本研究で取り扱う「防蟻コンクリート」も, 同時期に総督府によって奨励され, 台湾各地の建築物に採用されることとなった。 ちなみに第3期は大正から昭和初期にかけての鉄骨・鉄筋コンクリート造が本格的に建てられるようになった時期を指す。鉄骨・鉄筋コンクリートの骨組構造が取り入れられたことで, 「煉瓦の壁を荷重から解放し, セメントによって, 擬石等の装飾が自由にできるよう」になった。したがって日本統治時代に建てられ, 今日の台湾に現存している大規模建築は「概ねこの時期の建築にかかっている」とされる11)。1919年に完成し現在も当時のままの姿を見ることができる台湾総督府庁舎は, その代表である。その他にも同時期の主要建築として師範大学・台北郵便局・逓信部等を挙げることができる。 そして建築様式も従来のものから大きく変化し, 「日本内地と軌を一にして来た」時期でもあった12)。 また1917年には台湾南部の高雄に浅野セメント会社の工場が操業を開始し13), 台湾でセメントが生産され始め, セメントの供給量が増大したことに伴って建築物の表面へのタイル張りが普及することとなった。これらの建物には全て煉瓦タイルやタイルが貼り付けられていた。 さらには総督府による台湾統治政策の結果, 民間では経済的余裕が出来始めたことから伝統的な民家様式から近代建築の影響を受けた邸宅が建設されることとなった。制定された台湾家屋建築規則であった。全9条から成る同規則の内容は, 台湾における市街の改良と衛生上の発達を図るものであったが, 同規則が制定されるに至った理由は, 以下の点にあった14)。 本島ニ於ケル家屋ノ構造ニ就テハ従来何等ノ制限ナカリシイヲ以テ人家稠密店舗櫛比ノ市街地ニ於ケル街衢ノ不整頓ニシテ家屋ノ粗糙不規律ナル殆ト名状スヘカラス其結果市街交通ノ不便ナルハ勿論往往ニシテ惡疫発生ノ素因トナリ又一朝暴風雨ノ災害ニ遇フヤ破壊倒潰ノ難ヲ免ルル能ハサル比々皆是ナリ之カ為ニ公衆衛生其他公安ノ危害トナルコト甚キモノアル つまり, 当時の台湾では高温多湿, 台風被害といった環境要因による建築物への影響が深刻であったことが挙げられる。そのため衛生設備の整備を行うとともに, 土地建物への規制を行うことで, 市街地の環境改善を進めることが目的とされた。ちなみに同規則では, 日差しや降雨を避けることができる等の機能から, 道路沿いの家屋に「亭仔脚」を設置することが義務づけられることとなった。ここでいう「亭仔脚」とは現在のアーケードのことを指し, 同規則で明記されたことをきっかけに亭仔脚は台湾全土に広がっていった15)。 そして同規則と同時に制定されたのが, 台湾家屋建築規則施行細則であり, 同細則では, 不燃材料の使用・高さ・施行・衛生面に関する規律が全12条にわたって設定されていた16)。 その後, 同細則は1907年に改正され, 家屋建築に対して, より詳細な基準等が示されるようになり, それに伴い改正された細則では, 条文の数も25条となるなど改正前のものに比べて, 約2倍以上と大幅に増加することとなった。そして同細則改正のポイントの一つとして挙げることができるのが, 同細則内にシロアリ対策に関する記述が加えられたことであった。(1)台湾家屋建築規則及び施行細則の改正 台湾における近代都市建設のための基盤整備を担う法制の一つとして整備されたのが, 1900年8月12日に(2)「防蟻コンクリート」導入の背景と経緯 コンクリートは, その用途に応じて一般構造用コンクリート・暑中コンクリート・遮蔽コンクリート・水中コンクリート等様々な種類に分けられているが17), 本稿で取り上げる防蟻コンクリートは, 以上のように特定の用途に応じて使用されたコンクリートの一つとして位置付けられたものであった。 そして上述した通り1907年に改正された台湾家屋建3. 台湾家屋建築規則及び施行細則と 「防蟻コンクリート」
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