1010 こうした中で, 防蟻対策としてのシロアリと効果的な防除法に関する研究において大きな役割を担った人物が台湾総督府技師の栗山俊一技師であった。同技師は福岡県出身で1902年に東京帝国大学工科大学を卒業した後, 名古屋高等工業学校講師同校教授兼朝鮮総督府史料調査事務囑託・東北帝国大学技師北海道帝国大学技師等を経て1919年に台湾総督府営繕課技師となり31), 台北郵便局や1931年竣工の台北放送局を設計。1931年以降は, 民間において活動し, 台湾の建築実務者によってつくられた台湾建築会の副会長を務めた人物でもあった32)。(3)日本内地における建築規則との比較 日本における本格的な建築規則の端緒とされる1886年に大阪府で制定された「長屋建築規則」では, 手続き規則や罰則規定に加えて防火対策と衛生対策について詳細に明記されていた28)。そうした点から, 大阪府で制定された同規則は, 上述した台湾の「台湾家屋建築規則」と「台湾家屋建築規則施行細則」とを合わせた性格のものであったと位置づけられる。そして, 同規則で見られる特徴は, 明治期に相次いで制定された他府県の24例の規則でも同様であった。ただし台湾の施行細則で明記されていた「防蟻コンクリート」に関する記述, つまりシロアリ対策を目的としてベタ基礎を推奨する規則は1つも見ることができなかった。 こうした点から台湾家屋建築規則施行細則における「防蟻コンクリート」に関する規定は, 台湾独自のものであったとともに, 同地における地理的条件や特徴に合わせて制定された内容といえよう。ただ, 台湾で初めて明記された「防蟻コンクリート」工法は, 日本内地においても防蟻対策に有効なものとして取り上げられてもいた29)。4. 栗山技師による防蟻研究(1)栗山俊一技師 以上のような経緯を経て, その後, 台湾では先述した通り大正期に入ってから鉄筋コンクリート造りの建物が数多く建設されるようになるが, それらの建物の基礎部分においても, シロアリ対策としてのベタ基礎が取り入れられ続け, 「防蟻コンクリート」が広く採用され続けることとなった。 しかしながら, そうした中, 従来シロアリの被害が多く発生していた木造の建築物に対して, シロアリの被害を受けない, さらには侵入し得ないと思われていたセメント混合材にもイエシロアリが侵害する事例が見られるようになった。 具体的には建築物に使用されたシロアリの食物である木材に到達するためにコンクリートやセメントモルタルのようなセメント混合材もシロアリの侵害を受けるという事例が発見された。 この発見により, 当時の日本内地及び台湾において唯一の防蟻法と考えられていた「防蟻コンクリート」の有効性が揺らぐ事態となった30)。 こうしたことから建築物の耐蟻性を向上させるための対策と解決策が強く求められるようになり, さらなる研究が行われることとなった。(2)実験内容及び装置の詳細 こうして栗山技師によってシロアリによるモルタル複合材への被害の有無を調べるべく1929年から1935年の間にシロアリに関する詳細な調査分析が試みられることとなった。 栗山技師は, 調査にあたり, まずはシロアリに対する構造上の知識や材料上の研究を行う上で, シロアリの中でも台湾に広く生息し, 最も損害を与える種類であったイエシロアリを「知る必要がある」として同種に関する調査・実験を実施した33)。また従来の台湾におけるシロアリに対する認識が, シロアリの生物学・昆虫学の観点に重きを置いていたことに対して, 栗山技師は建築に関係するシロアリの習慣や生活状況等の習性を調べることが防蟻対策を講じる上では必要不可欠として, まずはイエシロアリによる食害・営巣状況に関する調査から開始することとなった。具体的には実際に台湾の建築物に使用される木材へのシロアリによる食害被害の状況を調査するとともに, セメントモルタルへの侵害の状況についても独自の装置を用いて実験が試みられることとなった。同装置は上述した「防蟻コンクリート」で一般的に使用されていたものと同様にセメントと砂1:3の割合で調合されたモルタルが用いられた。 そして高さ約30㎝のレンガ積の1面に厚さ約21㎜のセメントモルタルを塗り, その中央に幅75㎜のガラス板をモルタルに密着する様に打ち込み, ガラス内のモルタル面に直径1.5㎜の直線状の細孔を造り, 前面に付着したガラス版を通して, 孔の状況を見ることができるという構造であった。さらにはイエシロアリに浸食されつつある木片を地上から離して, 同装置の上に置き, 木片内のシロアリの一群が地下に往来するためにはこのモルタル内の人工的に作られた細い孔だけを通
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